2012年12月19日水曜日

ブータン王国について

ブータン王国  (通称ブータン)について
   
  
(ブータン地図  クリックすると拡大)

南アジアにある国家。インドと中国にはさまれ、チベット仏教を国教とする世界唯一の王国。
急速な近代化の中で、様々な環境政策、近代化の速度をコントロールしつつ、独自の立場や伝統,
文化を守ろうとする政治に世界的な注目が集まっている。
2008年、前国王が提唱した国民総生産にかわるGNH (Gross National Happiness、国民総幸福量)、国力を表すのはお金ではなく、国民の笑顔を増やすこと、つまり幸福感であるというGNH概念も、世界から注目されている。

国旗はかなり複雑で、竜のうろこが細かく描かれているので、簡単には真似して描けない。


 
首都はティンプー。
国花は青芥子(ブルーポピー)。  
国樹はイトスギ。 
国鳥はワタリガラス。 
国獣はターキン。 

ブータンに入国できる国際空港は1つ、航空機は国営のドゥルックエアーのみという、まるでちょっとした鎖国状態。
また、海外からの観光客は専属のガイド、運転手、専用車を手配しなければビザが下りない。
ドゥルックエアーにも乗れない。
だから外国人バックパッカーが入ってきてウロウロする、勝手にあちこち行きまわるということがない。
私も飛行機だけとって宿は取らず、好きなようにその日その日で予定を決めようと思っていたら、そんなことができないのがブータンだった。
1人に対してもガイドと運転手がつきっきり。
こうした、外国人の乱入を抑制した政策で、ブータンらしさが守られているだと感じた。
      

ドゥルック(Druk)は、ブータンに伝わる竜で、「雷竜」と訳される。
本来のブータンの国名は「ドゥルック・ユル」が正しく、「雷竜の国」と呼ばれる。

公用語はゾンカ語。英語も広く使われ、みなとても上手。


 

ブータン王国の歴史

627年の建設から、チベット仏教のニンマ派とドゥク派の内紛や、時のチベット中央政府の介入、ダライラマ政権による度重なる侵攻、中国・チベットの属部としてあつかわれ、イギリスとの戦争敗北による領土喪失など、混乱の歴史を紡いできたブータン。
1907年に東部トンサ郡の領主であったウゲン・ワンチュクが世襲の王位に選ばれ、初代ブータン国王となり、代々父王から子に王位は引き継がれた。
1971年、 国際連合に加盟。 1972年、ジグミ・シンゲ・ワンチュクが急死した父の王位を継ぎ、わずか16才で第4代国王となってからは様々な改革がなされた。
2005年に総選挙が実施され王権を廃止、立憲君主制移行を表明。
第5代国王、ジグミ・ケサル・ナムゲル・ワンチュクがに即位してのち、2008年には新憲法が公布され、普通選挙による国民議会が実施されるなど、完全に立憲君主国へと移行した。
      

国民はみな王様を敬愛し、各家庭や店舗には王様の写真があり、 王や王妃のバッジを身につけるなど、皆がこよなく王様を愛している。

1999年- 国内テレビ放送開始。
インターネットの利用を許可。
















民族衣装

ブータン王国では伝統文化保持のため、国民に民族衣装着用を義務化している。
公的な場に出るときは必ず正装。   

男性の民族衣装「ゴ」は日本の呉服によく似ている。
ハイソックスに革靴が基本だが、寒い時にはレギンスをはいたり、着物の下からハイネックを着たり、山を歩くときにはスニーカーを履いたり、様々応用している。
女性の民族衣装「キラ」は巻き衣の形。
巻きスカートがタイやラオスと似ているけれど、それよりも工夫され、折りたたみを作るなどおしゃれに着こなしている。
合わせ襟にし、袖を長くし、腰には帯を巻くところなど、和服の着方と似ている。


大事な場面ではこんな素敵なブーツを履く。  





















首都ティンプーに行くとジーンズやミニスカートといった近代風の軽装もよく見られる。 時代の変化なのかな。 が、それでもやっぱり、民族衣装割合の高さが首都でもこれだけというのはすごい。   
本当に、ブータン中がゴやギラを着ている人たちばかり。
日本の和装なんて、日本人でも見かけると「おっ?何があるんだろう?」と目線が行くくらい珍ししくて、 最近じゃ結婚式でさえも和装しない。
和装を確実に見ようとしたら、年に一度、成人式をねらって成人式会場付近で張ってるしかないだろう。

たまに考える。 外国人の友達が日本に「キモノ!キモノー!」と期待して来たときに、どこに連れて行ったら見せてあげられるかなと。 日本ではそのキモノの姿がなかなか見られないっていうことになると、日本なのに?とびっくりするだろうな。 逆に日本に来るよりも、外国のデパートなんかの、ちょっとした日本をテーマにしているフロアの方がキモノや富士山があって、和文化が簡単見られるんじゃないか。


 

標高

ブータンは国土のうち、3,000m以上の高地が全国土の44.6%を占める。
1,200mから3,000mの中高度地域は40.3%、1,200m未満の低地は15.1%。
ところで、日本一高い富士山は標高3,776m。
ブータン国土の半分近くが、富士山に近い高さだっていうことになる。
ブータン中で、低地はほんのちょっとしかない。
そして、もっとも低い南部の標高100mから最も高い北部の7,550mというように、とんでもなく標高差が大きく、当然、谷も多い。
首都も谷。
ヒマラヤ山系に属しているので、7,000m級の山も4座あり、登山家の羨望の的となっているけれど、 ブータン政府は宗教的理由から主要な高山への入山を許可しない政策をとっている。

首都ティンプーでも標高2400m。
マーケットのお菓子も、ホラ見て、気圧でパンパンにふくれあがって売られてる。
オレオクッキーもパンパン。   かっぱえびせんもパンパン。  





ブータンの食

一日中、ミルクティーを飲む。
朝起きて一杯。
朝ご飯で。昼ご飯で。
午後の休憩で一杯。
夕ご飯で飲んで、夜寝る前にも、というように。
日本人のお茶を飲む感覚と同じ。
紅茶やお湯も飲むけど、ミルクティー率がダントツに高い。
あちこちに牛がいてミルクがそこそこで味が違い、濃厚なため、
ミルクティーも日本のよりもおいしい。  











 


バターを溶かしたバターティーもよく飲まれる。

バター茶はちょっとしょっぱくてこれも美味しい。     









世界一辛いといわれるブータン料理。
10日間食べてみて、それほどでもないと思った。
よっぽど、タイ料理の方が辛いと思うなあ。
野菜をよく食べるのがいいし、味付けも日本人が好む味付けで、ブータン料理大好きになった。






唐辛子を何やらで練り練りした家庭料理。
ご飯のお供に必ずのように乗っていた。
日本で言う漬け物くらいのポジションか。
見た目は壮絶な辛さを主させるほど、それほど辛くはない。








ブータン料理と言えば、
  エマダッツィ
唐辛子を煮てチーズとからめただけのもの。
※エマ=唐辛子   
   ダッツィ=チーズ、
さぞかし辛いのかと思っていたけど、チーズで辛みが抑えられてほどよい感じ。






日本に帰って調子に乗ってエマダッツイを作ってみたら、めちゃくちゃ辛くて食べられなかった。
そもそも、ブータンの唐辛子と日本の唐辛子が、辛さの違う唐辛子のよう。 日本の唐辛子は辛い!! あんなものチーズのせたくらいでガブガブ丸かじりして食べられるか!







ブータンの唐辛子はいろいろあったけど、とんでもなくデカイものもあった。 デカイから辛いというわけでもなく、かじってみるとかじれる程度の辛さだった。



日本の唐辛子もだけど、タイの唐辛子もかなり辛かったなあ。





エマダッツィ以外にも、チーズとからめる料理は多く、ポテトダッツィや豆ダッツィなどがあった。
どれも美味しい。

これはカリフラワーダッツィ。     









牛や馬の放牧が多く、酪農が盛んなために乳製品が豊富で、ミルクティーが日常化しており、乳製品を使った料理をよく目にした。

これは乾燥チーズ。
いろんな場所で目にした。

チーズもバターも作ったところにより味が違い、ものすごく匂うものもあった。
その匂いが私は好きだったけど。









主食は米。
赤米や日本米もある。
タイ米にちかい日本米よりも水分の少ない米の上におかずを載せて、手を使って食べるのが一般的。
ごはんを片手でつかんで、にぎにぎ握ってちょっと固めて食べるのが上手な食べ方。    

首都にはよく肉屋を見かけた。
だけど、ブータン人は仏教的な考えから生き物は殺さない、だから鳥や豚や牛、魚も殺さないというからビックリ。
じゃあ、これらは何なのかというと全てインドからの輸入。
鳥も卵をとるため、牛は乳を搾るため、魚釣りは悪であり、釣っても必ず逃がすのだという。
ちなみに、人殺しは終身刑で絶対に刑務所からは出てこられないんだって。
敬虔な仏教徒であるから、死刑はないんだろうな、きっと。




タバコ・飲酒

2004年から、環境保護と仏教教義的な背景から世界初の禁煙国家となった。
タバコの販売は禁止されている。
敬虔な仏教国、タイでもタバコは悪だったけど、完全な禁煙はできていなかった。 すごいな、ブータン。
飲酒はされていて、焼酎や「アラ」と呼ばれる蒸留酒がある。
  
しかし、10日間の滞在中、農家でおじさんが一度コップに少し飲んだのを見ただけ。
仏教では飲酒はよくないものなので、飲酒するとしてもあまり量・頻度ともに多くはないのかなと思った。
ちなみに、ガイドさんは子持ちの男性だったけど、お酒は飲まないと言っていた。


交通機関

ブータン王国には鉄道はない。
外国人観光客には専用車がつくことが入国の条件だが、では、ブータン人の足はというと、
徒歩で何日も歩いたり、バスや車をヒッチハイクしたりも大事な交通手段だという。
近年、首都ティンプーでは自動車が増えたのだそうだ。
ほかに公共の交通機関はというと、国営の飛行機ドゥルックエアーくらいで、あとはなし。

これはパロという町で、客待ちをするタクシー運転手たち。















そばをとおると、 「ティンプー!ティンプー!」とこぞって大声を張り上げ、 「乗っていくか?乗るか?」という感じの迫力で押してくる。
しかし、どう見ても外国人観光客の私に、専用車と運転手がついているのは周知のことだろうに、しかも、運転手とガイドと一緒に歩いているのに、なぜ、私にこれだけ売り込んでくるのかさっぱり分からない。

こいつに売ろうとしたってムダだ、と明らかなのにエネルギッシュに呼び込む理由。
懸命にムダにがんばり屋なのか、仕事熱心なのか、タイでもそうだったけれど、それで仕事をした気になれるのか。
まさかムダだと分かっていないのか。



屋根が黄色く塗られているのが、ブータンのタクシー。
メーター制はまだまだ少なく、ほとんどが交渉制。
軽自動車でも、屋根にどっさりと荷物を山積みにして険しい山道をガンガン走る。








日本の SUZUKI の車を発見。
しかし、その上に書いてあるのは 「MARUTI」
インドの自動車会社で、この車、なんとインドと日本SUZUKIの
コラボした車なんだそうだ。

日本では売ってない、レアなコラボ車。





ナンバープレートのアルファベットには意味がある。
  BP = ブータン プライベート(私用の車)
  BT = ブータンタクシー(タクシー)
  BG = ブータンガバメント(政府の車)  とわかりやすい。

ブータンでは日本よりもよくクラクションを鳴らすが、険しく見通しの悪い山道だらけの中で、 自分の存在を相手に知らせたり、互いに危険を回避したりするための優しさが詰まっているように感じた。
「おいおーい、ここだ、ここにいるからな-!」
「おおそうか、そこにいたのか。よっしゃ先に行ってくれていいぞー。」
という、クラクションや、窓から手を出しての言葉は使わないやりとり。
以前、ベトナムのクラクション合戦に、ベトナム人の「俺が俺が!」的な自己中心的交通規範、自己主張の強さを感じたが、 ブータンでは、優しさや愛のあるクラクションだと感じた。


山道でよく見かけるトラック。
ものすごい派手なデコレーション。
このデコトラ、正面に目がついていて、正面からやってくると、愛嬌があってつい笑ってしまう。









スポーツ

国技は弓術で、あちこちの広場で大人の男たちが弓やアーチェリーをして盛り上がっているところを目にする。
特に休日ともなると、男たちが集まり大盛り上がりで、道行く人たちも弓術をやってると立ち止まって楽しそうに観戦するなど、まさに国民的スポーツ。
そういえば、古い寺に弓を持った仏像がいたが、そういった古い仏教の何かと関係あるのだろうか。



子どもも大人も「クル」というダーツのような遊びが好きで、これも信じられないとんでもない距離の的に向かって投げる

山道を通っていたとき、みつけたクルの競技場。
こういうものがあちこちにあり、山の中の村の人たちがこうやって、競技場を作って楽しんでいるのが分かる。
が、やっぱりすごい距離。 こんなんでダーツ本当に当たるの?と思う。
しかも、これ、カーブしてるし!


さらにすごいのは、とんでもない距離を投げてくるのに、的の近くに人々が立ってはやしたてていて、矢が飛んできても怖がらずたいして逃げもしないこと。
「あ!ごめん!」
と手元が狂って、軌道が逸れ、その辺の人の頭にグサッと突き刺さるなんてことはないんだろうか。
ブータン人は「そんなことはない、変な方向に飛ばしてきたら逃げればいい」と言うけれど。




そして、この長い長い距離を矢がビュンビュン飛び交うど真ん中に、グウグウ寝ているブータンの幸せそうな犬たち。














医療・教育

治療費・薬代は全て無料。外国人でさえも無料。
病院に薬があれば無料でもらえるが、ない場合は自腹で薬局などで買う。
医療レベルは高度ではなく、インドの医学部に国費で毎年10名程度留学させ医療レベルの向上を図っているらしい。
針は取り替えているが、輸血は現時点ではやめた方がいいとのこと。
私は今回とんでもなく具合が悪くなってしまったが、輸血が必要なら
とりあえずバンコクまで飛んで医療を受けた方がいいとアドバイスされた。
しかし、ブータンを出るにも1番いいのが国営のドゥルックエアー。
これが午前中2本しか飛んでいない。
席も満席、出るに出られず。
外務省が確保している席もあるということで、緊急輸送の場合それを使わせてくれるということにもなった。これは体験談。

教育も高校まで無料。大学は成績によって無料らしい。



通貨

通貨単位はヌルタムNu(Ngultrum)。1Nu=約1.6円(2012年2月現在)。


現国王が印刷されている紙幣。
世代が変わるとお札も一新されるのかな。

しかし、王様ばっかりだなー。

国が誇る偉人はまだ歴史上さほどないのか、
王様がそれを席巻してるのか、どっちかなー。





空港の両替レートと市内の銀行のレートは変わらないということで、市内銀行で両替。

この緊張感のないこと。

お客さんにお金を渡したら、あとはおしゃべりしている。
のんびり素敵なブータンの人たち。








ブータンの格差・社会的弱者・その他

車で道を行くときに目につくのが、へんぴな場所にある家。 小屋といっていいくらいの粗末な建物で、ちょっとした集落になっている。 ガイドに尋ねると、「レイバーズキャンプ」だという。 労働者たちがそこでキャンプしているということだが、じゃあ、その労働者は誰かときくと インド人だという。 幸せの国ブータンでの貧富の格差はどのようなものか、気になっていたが それがこの目に少しだけ見えたと思った。 医療や教育で平等を目指し、身分でのしばりもほとんどないブータンでは 格差がさほど大きくはないが、いまだ身分差別の強いインドからは貧しい労働者が流れ込んでくるのだろう。 今や世界の大国インドだが、しかし裕福であるのはその多大な人口のほんのひとにぎりで、 その貧富の格差は大きく、下層で苦しむ人たちはブータンの一般の人たちよりも貧しく、 仕事を求めてブータンに来るのだ。
  日本以外のアジア諸国では、都心部や観光地では物乞いが多い。 その物乞いの多くに障害者がいる。 韓国の市場を歩くとき、足のない男がキャスターのついた荷台うつぶせて乗り、 物乞いをしてまわっているのを見た。 中国では観光地で、足の不自由な男が雪の降る中、半裸で物乞いをしていた。 タイでもやはり、肢体不自由を見せつけるように物乞いをする人を見た。 中には、山岳民族やカンボジア、ミャンマーなどから無理やりに連れてこられた人々、 人身販売で連れてこられた人が強制的に物乞いをさせられるという現実もあるという。
ブータンではどうなのか。 気になっていたがちっとも見かけなかった。 10日間の滞在中、1人だけ出会った。 足に障害のある人だった。 が、笑顔でのんびりとした表情、悲壮感のない、なんだろうな、違うな。 何が違うんだろう、上手くいえないけど。 ブータンの人だ。

ちょっと気になること。 鉄条網が多いこと。 子どもの遊ぶ公園でも、道ばたどこでも鉄条網。 日本も昔、こればっかりだったとうちの母親から聞いたことがある。 だけど、今はすっかりなくなってしまったでしょう、と。 確かに、今の日本で鉄条網を見かけることはほとんどない。 理由は、危険だからだ。 子どもが遊んでて目を突くような事故も多かったからだ。 次第にそういう意識が高まり、ブータンからも、 この鉄条網がなくなってしまう日が来るのかもしれない。






日本との類似点

ブータンと日本では栽培植物や文化において共通性があり、時に日本文化の源流だと言われることがある。 日本もブータンも自然を基にした農耕生活を営んできたこと、漆器の使用、赤米の栽培、蕎麦加工品を食べる習慣、 日本のどぶろくによく似た製法の「シンチャン」や焼酎に似た蒸留酒の「アラ」があるなど、日本との共通点は多い。



顔つきも、
日本人とブータン人はよく似ている。
なんだか、親近感。










犬だらけ 牛だらけ



山道や道路には平気で牛。
人と車と牛。


こ、こんな標高のこんな絶壁の道でもぞろぞろと牛が歩いて行く。
人間か?というような存在感。
ブータンでは牛は人間と同じくらいの歩行権があるんじゃないかと思うくらい。









そして、犬、犬、犬だらけ。
犬もどこにでもいる。
標高3000mを超える峠にも、由緒正しい寺にも、市場にも、町の中にも。
犬は飼い主に似ると言うけれど、ブータン人たち皆が飼い主なんだろうな。
ブータン人のようにゆったりと、おだやかで、吠えることも怒ることもなく、
車が通っても人が通っても怯えもせず、グウグウグウグウ寝ている。   


 




おおおお!
こんなところから犬が!
なんちゅう わんぱくな犬だ。

水遊びしたいんか!

気温何度だと思ってるんだ!









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