2012年12月22日土曜日

①パロ

パロ   →地図①

唯一の国際空港があり、空路でブータン入りする観光客の唯一の入り口。
標高2300mに位置するブータンの玄関口で、 パロ国際空港は山と山の間に滑走路がある。
多くの旅人たちを出迎えながらも、のどかな農村であり続けている。
        (参照→「ブータン国営航空 ドルゥクエアー」

他のゾンとは異なる正方形に近いパロ・ゾンが街中にあり、
映画『リトルブッダ』のロケ地として有名。
パロ・ゾンはパロの町のメインストリートからよく見え、
パロは宗教的に重要な意味を持つ地方である。



ダショー西岡・メモリアルチョルテン

日本人として、ブータンを訪れるならば、絶対に行かなければいけない場所と思っていた。
海外技術協力事業団(現在「JICA」:国際協力機構)から派遣され、ブータンの農業の発展に大きく貢献し
「ブータン農業の父」といわれた西岡京治(にしおかけいじ)さんのための記念仏塔。
パロの丘の上に立つ。

当時ブータン国土は農地としては非常に厳しい環境条件にあった。
しかも、鎖国に変わりない状態で、他国からの物資輸入や技術協力も難しい。
西山さんはその荒れ果てた農地に立ち、どのような思いだっただろう。
私も自分の青年海外協力隊生活から思うが、知識や技能をもっているだけで
飛び込んで、技術移転が成せるわけではない。
どれほどに厳しい環境であったか、どれほどに難航したことだろうか。

JICAからの派遣期間は2年。
しかし、西岡さんはその任期を終えても、またブータンへ戻り、
ブータン人と共にブータンのために生きた。
パロ盆地で導入した手法により、コメ作りを広く普及させ、
ブータン農業の近代化を推し進めていった。

現在、ブータンが自国で米を安定してつくることができ、
リンゴやミカンなど国外に輸出できるまでになったのは、
西岡さんの功績によるものが大きい。

 
峠のイミグレでは小ぶりながらおいしそうなリンゴが売られていた。
山道を走るトラックの荷台には、インドへ輸出するためのミカンが山積みになり運ばれていた。
これらがブータンで育つための品質改良も、
西岡さんはブータン人と共に懸命に行ってきたのだろう。

1980年、西岡氏はその貢献を高く評価され、現在の国王の父である
ジグミ・シンゲ・ワンチュク第4代国王から
「ダショー(最高に優れた人)」という名誉称号贈られ、
ダショー・ニシオカとも呼ばれようになった。
国王が外国人に「ダショー」を与えたのは、後にも先にも西岡氏ただ一人。

西岡さんはブータンの農業に28年間を捧げ、1992年に59才で敗血症でなくなった。
まさしく、ブータンに骨を埋めたのだ。
西岡さんの奥様は日本で訃報を聞き、
葬儀は日本ではなくパロで、日本式ではなくブータン式で、と望んだそうだ。
ブータン人になろうとし、ブータン人のために生きたダショー西岡。
国王は国葬をもってダショー西岡をおくった。
参列者はブータン全土から集まり、その国民は3000人を超えたという。
国をあげてダショー西岡に感謝の心を捧げたのだ。


記念仏塔まで歩く小道には、ニマ車がおかれ、
強い風が吹きルンタやダルシン(参照→「ブータンの仏教」)がはためく。
ブータンの人々がダショー西岡の魂と、生涯を捧げたこのパロの地を、
お経が守ってくれるようにと、心を込めて掲げてくれているように感じる。
となりには赤い屋根の農業中央センターがある。

みながその死を悼んだ「ブータン農業の父」として、
ブータンでダショー西岡を知らない人はいないという。
昨年、国交樹立25周年を迎えた日本とブータン。
現在、ブータン王国は大変な親日家である。
それは、33年前から西岡氏がブータンで行った草の根の活動によるものが大きい。
西岡さんが生涯をかけて築いた信頼関係が、
日本とブータンをつないだのだと思う。  (参照→「ダショー西岡の遺志を継ぐ」 JICA


日本人として、そして同じくJICA派遣のもと青年海外協力隊員として、
絶対に行かねばと思っていた場所。
こんな日本人がいたことを、日本で暮らす日本人はどれだけ知っているだろう。
旅の途中、日本人にはよく出くわした。
だけど、会う日本人たちはダショー西岡メモリアルチョルテンを知らない、
いく予定もないという人が多かった。
ガイドブックにも載っていないから、という人だっていた。


今、ブータン王国に入れるのも、ブータン人から歓迎されるのも、
いったい誰の功績によるものか知らない。
そうやって途上国を支援しているJICA(国際協力機構)というものの存在が日本にはあること、
その中で西岡さんのような日本人がいたこと。
誇らしく思うべきことがたくさんあるのに、多くの日本人が知らない。
もったいなくないか?

自国の偉業や偉人にあまり目を向けないのは、謙虚さなのか、無関心なのか。

ブータンの人たちの愛を感じるこのチョルテン。
ここから西岡さんに、 一人の日本人として心から感謝の気持ちを届けたい。
チョルテンの前で、西岡さんにありがとうございました、活動お疲れさまでした、 と、懸命に感謝の気持ちをささげた。
祈りがどうか届きますように。

ダショー西岡が活動拠点としたパロの丘の上にメモリアルチョルテンはある。
そこからの見晴らしは、西岡さんがブータンの人とともに作りあげていった
豊かで美しい田畑の風景が広がっている。

私としては、ブータン旅行で1番のメインだろうが!日本人は全員いくべし! と、思っている。



                「世界を変える100人の日本人」           





キチュ・ラカン

659年頃に建てられたブータン最古の寺院の一つ。 田んぼの中の小さな丘にたっている。
チベット全域に大きな力を持っていた魔女の力を封じるために、
魔女の体の108のツボにあたる場所に寺院(=ラカン)を建立したのだそうだ。
キチュ・ラカンはその一つで、魔女の左足を封じた場所。
煩悩の数は108といい、日本でも除夜の鐘を108回突くが、魔女の体のツボも108なのか。
魔女はすっかりとその力を封じられてしまったのだろう。
境内には犬が寝そべり、近所の人たちが集まっておしゃべりし、
のんびりとした時間が流れている。
最も古い寺院のニマ車は、小さいのも大きいのも美しく古い。
人々が願いをかけて手で触り、まわしてきた時間がここにあるんだと感じる。





タチョガン・ラカン

パロの街を出て30分ほどのところにある。 まるで民家のようにしているが、有名な寺院。
タチョガン・ラカンは、チベットの高僧タントン・ギャルポによって作られたラカン(=寺院)。
パロ・チュ(パロ川)にかかった橋を渡っていかなければならない。
車を止めて、まずは橋まで歩いてくだる。
パロ川にかかるのは鉄の橋。
入り口も、足下も、鉄の大きなチェーンが橋を支えている。
この橋、かなり揺れるので、高所恐怖症の人はたまらないだろうと思う。
私も歩くのにヨタヨタとなりながら一生懸命にバランスをとって歩いた。
ガイドはさすがに慣れたものですたすたといってしまう。
こういう風がよく吹く場所には、ルンタというお経が書かれた旗がたくさんかけられている。
この橋もタントン・ギャルポがつくったのだそうだ。
彼はチベットやブータンでたくさんの鉄の橋をつくった。
このチェーン橋は新たに再建されたものだそうだが、最初に作られたのは15世紀だという。

橋入り口の楼に上がると、壁にはタントン・ギャルポ、天井には曼荼羅が描かれていた。
タントン・ギャルポの手には確かに、鉄のチェーンが握られている。
足下すけすけの鉄の橋は、風も吹くし、歩くと揺れるし、なかなかスリリング。
ルンタのお経のご加護がありますように。
           





タクツァン僧院


ブータン仏教のく聖地。タクツァン僧院。 タクツァンとは「虎のねぐら」という意味。
ブータンに仏教を広めた僧が虎の背中に乗って飛んできて、
この地で瞑想を行ったとされることから。
岸壁にはりつくように寺院が建っており、パロ谷から見上げても絶景。
あ、あんな高い岩壁にある!

パロ谷からタクツァン僧院を望む展望台まで、1時間半の道のりを歩く。
寺院の内陣を拝観するにはさらに1時間半歩いて登る。
まずは車で行けるところまでいくが、牛がよく出没する。

山道の入り口では、ブータン人のおばちゃんたちが輪になってお弁当を食べていた。
そこに、おばちゃんたちと同じ数ほど群がる犬たち。
タクツァン僧院のような絶景も日本ではなかなか見ないけど、
こんなに犬に群がられて普通にお昼を食べているこういう光景も、
日本では絶対に見ないな。


ブータン旅行者は必ず訪れる重要な聖地であり、観光スポットだが、
私は体調不良で山道入り口までしかいけず。
でも、パロ谷から見上げられたし、
ダジョー西岡メモリアルチョルテンにいくという希望は果たせたし、 それで十分。




パロ市街 オールドタウンとニュータウン

国際空港を持ちながら、田舎の雰囲気が残る町。

まずは、オールドタウンを歩いてみる。
兄弟が誰か来るのを待っている様子。
写真を撮ろうとすると、お兄ちゃんは気をつけ姿勢に。
弟はどぎまぎしながらお兄ちゃんに隠れる。
素朴なブータンの子どもたち。

朝の気持ちのよい空気の中で、おばあちゃんはニマ車を手に持って回し、お経を唱えている。
民族衣装のおじさんの後ろには、民家の二階から唐辛子が干されている。




コンコン トントン と何やら音がするのでいってみる。
お父さんは肉を叩いて挽肉を、 息子は唐辛子を臼で砕いていた。
そこにやっぱり群がる犬たち。
小さいけれど大人のように足を組み、携帯を触っている子ども。
民家の壁には落書きが。 
かわいいなあ、この落書き。
店の前にいる男の人たちも、すわりこんでいる女の人も、とにかくのんびりしている。
日本だったら・・・ う~ん、ないな。
大人の男が平日の昼間に、店の前で何するともなくのんびりだらだら過ごしている光景は、ないな。
それに、「青果市場」と案内された場所に、寝ている犬だらけってのも、ないな。

つづいて、ニュータウンも歩いてみる。
オールドタウンが面しているメインストリートの裏の道が、ニュータウンになっている。
ニュータウンっていっても、やっぱりのどかな感じ。
ゲームをしている若者たち。
そして、 あっ! 牛が! 牛が!
このあと、牛はかごの中の野菜をむしゃむしゃ盗み食いしていた。
ハンディクラフトショップの外にあるマネキン。
服装もワイルドだけど、縛り付けられているところもワイルドだなあ。
その入り口から、こっそりと、こわごわとのぞいているチビッコ。
見えてるぞ~! 丸見えだぞ~!
ハンディクラフトショップにある仏像や、仏具の数々。

ターコイズや銀製品。 ブータンの祭りに使うお面もある。
背中に模様のある仏像を発見。 きれいー! そして、この古めかしいものに書かれているのはお経かな。




ホテル カンクー・リゾート KHANGKHU RESORT

パロ空港を見下ろす高台にあり、全ての部屋のベランダからパロ・ゾンも眺望できる。
空港が目の前という、明日のフライを控えたブータン最終日には絶好のロケーション。
というのに、この日泊まっていた客は他になし。 オフシーズンってこんなものなのかー。
部屋はきれいだし、温水シャワーは出るし、バスタブはあるし、すばらしいホテル。

石がよく産出さるのだろう。
庭園やホテルの壁や、路地横にも石が。
見たことのないような模様の石がたくさん、おしゃれに置かれている。

部屋のベランダから、ライトアップされたパロ・ゾンを眺める夜景は素晴らしい。
この日は北斗七星がこんなに山のすれすれにあるのを見た。
カーテンを全部開けて、夜景を眺めながらベッドでうとうと眠る、そんなぜいたくができる。

はにかみやのスタッフが持って来てくれるブータンビールを飲み、 ブータン料理をいただく。
とんでもなく寒い夜だったけれど、だからこそ冷たいビールと熱々の料理がおいしかった。
ブータンの民族衣装を着た人形が売られていたが、 スタッフの男の子たちもまさに同じ格好で、
なんだかかわいらしい。
さて、この子たちと仲良くなりたい。
私の必殺アイテム、日本文化折り紙を取り出し、一緒にやろうよ~と誘う。
とても賢い男の子たちで、教えるとスイスイ覚えていった。
クリスマスツリーや、あやめを折る。
パクパクエリマキトカゲを作って、ゾンカ語で「クズザンポー!(こんにちは!)」とあいさつすると
びっくりし、そしてケラケラと笑ってくれ、それまでの距離が一気になくなった。

それからは私たち、すっかり急に友達になれた気分で、互いになれなれしくなった。
そしてさらに仲良く折り紙。
すごいな、折り紙のパワー。
すごいな、パクパク エリマキトカゲ。



ああ、楽しい時間だった-。 海外では、折り紙とハサミは必須です。






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